上田司のビートルズの聖地への旅 その7
~ビートルズになれなかったドラマー、ピート・ベストとカスバ・クラブ~
「ストロベリー・フィールド」から次に向かった先は
「カスバ・クラブ」という一軒の白い家だった。
その家はビートルズになれなかったドラマー、
〝ピート・ベスト〟の実家である。
彼はリンゴ・スターの前のビートルズのドラマーであった。
当時、ハンサムでリーゼントが似合う彼はジョン、ポール、ジョージに
負けないくらいの人気者だったらしい。
その母モナが競馬のダービーで大穴馬券を当て、
その資金で購入した家だそうだ。
その後、家の地下室を改造して作ったコーヒーバーが
「カスバ・クラブ」である。
当時のリバプールには若者たちが集う場所が少なかったこともあり
「カスバ・クラブ」はすぐに大人気のお店となった。
その後、モナはドラムを叩いていた息子の為に
地下室を改造してライブハウスとしてオープンさせた。
そしてお店の開店記念で演奏したのがビートルズ前身バンド
「クオーリメン」だった。
その時にピート・ベストはジョン、ポール、ジョージと知り合ったそうだ。
私が訪れた時にこの地下室を案内してくれたのはピートの弟だった。
彼の説明によると、この地下室の天井にはジョン、ポール、ジョージたちが
ペンキで描いた模様が残っているとの事だった。
ワクワクしながら地下室に入り天井を見上げると
はっきり見ることができた。
また当時使っていたドラムセットやアンプがそのまま置いてあった。
このお店で演奏しているジョンとポールの有名な写真がある。
私はその写真のポールのポーズを真似て記念に写真を撮った。
3人と仲良くなったピートが加入してバンド名を
「ザ・ビートルズ」と改名した。
しかしギグ(ライブ)を重ねて行くうちに、3人がピートに対して
不満が噴出し、1962年の6月6日にアビーロード・スタジオで
「Love Me Do」をEMIレコードのオーディション時に録音した直後、
突然ビートルズを解雇されたのだった。
次回をお楽しみに!
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